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  • 執筆者の写真08th Ihara

空についての残念な考察

更新日:2018年12月21日



紛れもない日焼けだった。 なんか、肌がピリピリするのだ。 歳をとって、しかるべき虚弱性をあらわにしてきたのかもしれない。

快晴の定義とは、確か空に浮かんだ雲の割合が0から1だったはずなので、その判断基準から言ったら快晴の生き字引と言える空だった。 もう、私のような残念な方向に無頓着な感性からしたら、ブルーバックにも負けずとも劣らない均一な青であった。 流石に、色そのものはというとブルーバックよりハーフトーンな空色だったのだけれど。


空をテーマにした歌や小説や絵やツイートなんかは結構多い。 モネだかマネの「印象日の出」だって、大まかに言えば空が主題だし、空の色に興味を示してシャッターを切る若者も多い。銀河鉄道の夜だとか。


なんでそこまで空が好きなんだろう。


凶暴な日差しをたっぷりと浴びて肌をピリピリさせながら、下校している。 ついこの間、六月のそれに比べてずっと溶ける速度を早めたアイスを片手に、それとなく交通法を守りながら思案する。 気温が高い時は、脂質の少ない甘味がよく売れる。兄貴は相変わらず赤ラベルのパルムが好きだけど、奴は室内で食うからそうなのかもしれない。 私が買ったのは一番安いソーダ味のしゃりしゃりしたあれだ。肌を焼くレベルの灼熱にさらされた氷はみるみるうちに水と化す。したって気温が下がるわけではないが思わず舌打ちをした。私はあまり忍耐強くはない女である。


赤信号と青空の組み合わせを見ていて、人間が空に執着しやすいのは、好き、というより、ただ目に入りやすいだけかもしれないとも思った。 歩行者用の信号が青色に変わり、スピーカーがみゅうみゅう鳴って人間がぞろぞろ歩き出す。 公共の福利を鑑みて、私もぞろぞろの一部にあやかって歩く。


だって空は、こんなにもでかい。 しかも二十四時間でおおまかに三色くらいは変わる。相当鈍くてもその変化は察知しやすいだろう。しかも面積がでかい。明瞭であるったらない。 草木や花やバーバリウムやスイーツや友人や親や天敵のあいつや団地やソイラテを差し置いて「空」がなお人気が高いのは、なんてったってその大きさの強みがある。と思う。

そこに、雲やら惑星やら、場合によったら建築物の一部がアクセントになることでシメと緩みの共存したいいかんじの画になり、なんとなく尊いのであたかも今ある空の表情は今しか見られない大変貴重な存在で、金輪際同じ表情は拝めないように思える。

だから大抵、空っていうのは感動的なんだ。いや、劇的?大差ない。 むしろ感動的でない空という方が珍しい。 感動的な空の写真ほどありふれたものはないが、なぜかその写真は、私たちの感受性の間でなんだかんだあって「日常の一瞬を切り取る」行動の産物となり得る。 と私が思うのも、感動的なものは希少であるはずだという刷り込みからなるのだけれど。


「日常の一瞬を切り取る」

字面から判断するに、盗撮がその真骨頂だと私は思うのだけれど。

アイスを完食してしまったので口内ではずれを持て余し、狭い面積を歯ですり潰すように噛んでいた。

自宅からの最寄駅周辺は、まだ健全に猥雑だった。空が青いからである。

2018/7/2(妹)(15分+)


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